The Lord of the Ringsを観終わったので、The Hobbitに着手した。LOTRの完走には実に一週間もの時間を要した。48時間期限の配信をレンタルするのだが、途中で期限が切れて再度借りさえしたのである。「王の帰還」のエンドロールが始まった時、やっとこれで終わったのだ……という感慨が、まるで自分自身が指輪を捨てる旅に出ていたかのように押し寄せてきた。
そうしてひと時の安息を経て、今度は過去へと冒険に発ったのである。
どちらのシリーズも物語が面白いのはもちろんなのだが、カメラワークの妙と言うか、世界を余すことなく見せることによって世界観へより深く没入させるところがすごい。草原から山肌、空と走る雲。緻密に描かれる地下の国。LOTRでのホビットの汚れた足、戦場に長髪をなびかせて戦うエルフの洗練された強さ。目に焼き付いている。
オウテカ一生かっこいいよな、とずっと言っている気がする。なぜならオウテカは一生かっこいいので。今日ふと思い立って通勤中に聞いていた。ソフィーという才能が既にこの世にないことがあまりにも寂しい。
先月は何だかんだ10冊本を読み終えた。元々並行読書のスタイルを取っているので読了まで時間はかかるが、終わる時は一気に何冊も終わる。今年の読書目標はガーディアン紙選書の1000冊を潰して行くことなのだが、どうしてなかなか進んでいない。同じ作者でも他タイトルが気になってそちらに取り掛かってみたりしている。今はエーコの「プラハの墓地」を読み始めたところ。シオン賢者の議定書を生み出した偽書づくりの名手を主人公に、実在の人物が多数脇を固めていて面白い。
親の家を出て最初に住んだ部屋は最上階に大家が住んでいる物件だった。自分で住んでいるくらいだから悪くはないところだろうというのがこちらの見立てだった。引っ越して最初の日、新茶を持って挨拶に行った。大家は私に「◯◯大学の学生か」と訊ねた。曰く、某教員と知り合いなのだと言う。その通り◯◯大の学生であった私は、果たしてその人の名を知っていた。しかし別にそれだけで、あとは二言、三言会話を交わして終わった。
大家に面倒をかけることはあまりなかったと思っている。一度台所の水道に重いものを落として派手に壊したことはあったが、それ以外はごく静かに暮らしていたと思う。思い出してみると入居の際も「学生だからといって騒がしくなければ良い」ということだけは念押しされたが、結局のところ、人を招くことも殆どなかった。
大家は小柄な高齢男性だった。七十だか八十だかよくわからないがまあその辺りだろうと思っていた。その年代にしては割合元気よく見えていたが、ある時から経鼻チューブをしてエレベーターを降りてくるところを見かけるようになった。「どこか悪いのだろうか」と思ったけれども、それを直接訊ねることもできなかった。
やがてそんな姿も見かけなくなり、ある日町内の看板に訃報が貼り出されているのを見て亡くなったことを知った。年齢は七十でも八十でもなく、九十を優に過ぎていたことも、同時に知ったのだった。
物件はその後大家の子どもが引き継ぐことになった。私はそれからすぐに引越しをしたので、あの建物が今どうなっているのかを知らない。
些事ながらこの思い出を私は忘れたことがないのだが、今になって無性に書き表してみたくなったのは、こういう日記をつけ始めたからかもしれない。私があの物件に入居し、また大家の訃報を見たのがちょうど今時分の時期だった。春が近づく夜の匂いをかぐたび、このことを思い出すのである。
指輪物語の合間にKindleで買った本を消化しているのだが、ドナルドキーン先生の本ばかり読み進めている。三島由紀夫と深く親交のあったことは知識として知っていたが、自身の言葉で語られる三島像はやはり面白く、興味深い。私は昔から三島の書く文章に苦手意識があって、「金閣寺」が良かったこと以外の記憶があまりない。没後50年ということで各所の特集を色々と読んだりもしたが、結局「まあ金閣寺は良かったよね」以上の感想を持てなかった。しかしここへきてキーン氏が「三島さん」と親しみを込めて回想するのに触れて、また少し読んでみようかという気になっている。
The Verge, Shimo-kitazawa 下北沢